2019



 

那須町 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。



館山城sk 上館sk 梁瀬城sk 

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 【城の概要】 

 芦野氏によって築かれた当城。
 御殿山に居城を移る前まで使用されていたという。 
 近代の採掘により、城の周りは削りに削られ、無残な姿に・・・・
 現在の遺構だけで、この城を語ることは危険だが、大きな枡形虎口とも言える主郭南の曲輪は、非常に見ごたえがある。
 本文中も何度も言って申し訳ないのだが、非常に危険な場所にあるので、見学にはとにかく細心の注意を!

 
      
 

非常に危険な場所なので、調査は十分注意が必要です 1! 2017/04/15
 
芦野城の真向かいの台地に、館山城はある。

国道294号線沿いに、この館山城を紹介する解説板がある。

解説版によれば
 ・この城は、芦野氏によって応永年間に築かれた
 ・城は、
前館 中館 下館に分かれていた
 ・戦国時代を迎え、天文年間に現在の御殿山(芦野城)
 を築き、移城した
 ・廃城となった館山城は、”芦野石” の採石場となった。






         

 この解説板から、館山城を望む。
 断崖絶壁の、ものすごい要害の地に作られているようにも見える。
 しかし、これは江戸期からの芦野石の採掘の結果できた姿で、城本来の姿では無い。

     







立ち入りがあまり好まれていない?ようで、
管理人のたどった入城ルートについては、詳しく記載はしない。

ただ、断崖の北裏手の谷間から乗り込ませていただいた。













                   
                   ◆現地縄張り図    
                  
    
【解説】         
             
◆館山城彩色縄張り図              
            


(※注意   文中○数字番号は、白黒の現地縄張り図の番号です)




林道を登っていくと、谷のどんつきに土塁が見えてくる。


    








左写真
土塁を乗り超えると、その裏に、しっかりとした横堀が姿を表す。
 









     
横堀の先には、土橋が見える。

   












       堀を超えると、ぱっと視界が開け、主郭方向へ向かう綺麗な道が現れる。
       ちょっと前まで、当地は展望台として整備されていたようだ。
       その名残のように思える。
       





 
道の途中から”く”の字に曲がって主郭へ至る、導入の土塁がある。

  







下の写真は”く”の字土塁の上から撮影したもの。
土塁との間は、堀となっている。
  






  主郭にそって2つ、帯状の曲輪がある。
 土塁で囲まれていたようである。
 細く北に伸びている。
  
 






主郭に上がってみる。
かつては、周囲が土塁で囲まれていたことが分かる。
写真は主郭南側の土塁であるが、2つ連続で切れ目がある。
  






切れ目の下には、
坂虎口のような遺構が見られる。

ここを虎口とする人もいるようであるが、
管理人の見解としては、これは主郭土塁を切り崩した土が
下に流れて出来た物・・・と見た。







坂虎口状の遺構。

 










 
本当の主郭虎口は、主郭の北側の土塁の切れ目だろう。

端末が矢倉台状で太いし、
よく観察すると主郭内部で浅く枡形門となっている。
 





 
さて、主郭南方向に今一度目を戻そう。

すると、主郭南の境界として、大きな堀切が見えてくる。





 





 


気持ちの良いくらい、爽快な堀切である。

  








  恐る恐る、堀切の先端まで行ってみた・・・・・・

           





                    こ、怖っつ!

                     落ちたら絶対死んじゃう・・・・・
                     城郭調査も命懸けだ。

     


 この城全体を俯瞰すると、西側の谷曲輪全体は大きな意味で、”谷に対しての巨大な枡形虎口”に見える。
 西の虎口曲輪とでも言うべきなのだろう。

 この城は、破壊の限りを尽くされている。
 よく残っているように見えるが、結果的には前述の西の虎口曲輪と主郭周りしか残っていない。
 
 解説板にあったように、かつては ”前館、中館、下館に分かれていた” という事から、
 本当は、芦野石を採石した場所にも、何らかの遺構があったはずだ。
 今見れる物は、城全体のほんの一部なのだ。
 これらの遺構だけで、この城の性格を語ることは危険であろう。
 と言うより、不可能だ。
 
 

 芦野城、芦野館、館山城・・・・・
 この館山城が綺麗に残っていれば、福井・一乗谷のように、中世芦野の景観をもっと蘇らす事ができたろうに。。。。

 非常にもったいない。。。。





山の中にはフデリンドウが咲いていた。





















 
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ここも危ない場所なので、調査時は気をつけて 2!  2017/04/15

 ◆電子国土より





館山城の北の尾根に、『上館』 と呼ばれる遺構があるということだ。

場所は左図を参考にされたい。





    ◆現地縄張り図
    



 【解説】

                     




  

   芦野城から尾根続きを歩くこと10分。
  なるほど、堀幅の広い堀切が、管理人の眼前に現れた!

                 
                 










高さも非常にある切岸で、
びっくりだ。










基本単郭の城である。

写真は主郭の土塁である。
結構立派である。










主郭虎口である。
堀切から回り込んだところにある。







 

 主郭の北には一段下がって平坦地がある。
 ところが、ここが断崖絶壁の上。
 曲輪の跡なのか、芦野石で削られてこうなったのか、よくわからない。
 見に行くときは、本当に注意願いたい。

   
   芦野  
  館山城の関連施設であることは間違いない。
  情報では、当地を『上館』と呼ぶそうだが、
  館山城解説版の、”前館 中館 下館”の 『前館』 である可能性もある。





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シンプルな山城  2017/04/15

 
 
◆電子国土より マウスを乗せよう!!
 
 


梁瀬城は、現在の国道、県道から大きく外れた場所にある。
訪れてみると、お住まいの方には大変失礼なのだが、日本の原風景のような、超ド田舎。

 



  
”そもそも、なんでこんなところに城跡があるのだろう?”
 それが、管理人の最初の疑問であった。




しかし、それは地図を見ればすぐわかった。

写真にマウスを乗せていただきたい。

オレンジ色の道が出てくると思うが、


この道で、梁瀬城やいくつかの要害も含めて
伊王野から黒羽城まで、一直線に繋がるのである。


おそらく昔は、この
オレンジ色の道が、那珂川左岸の正式な街道だったのだろう。
その街道を視野に建築されたのが、この梁瀬城だったのである。






 梁瀬城の城主は簗瀬氏と言われている。
 もともと、那須氏の一族であったが、戦国期は伊王野氏に属していたようだ。
 伊王野氏は大関氏に仕えていたから、秀吉の怒りにも触れなかった。
 ということは、梁瀬氏も、うまく世渡り出来たのだろうか。。。。。


 ◆現地縄張り図
         


 【解説】   
                      


 
 
城は、比高差もさほど無く、周辺に来ればどこからでもアプローチができる。
 管理人は、山の東尾根からの取り付いた。

 10分ほど登ったろうか。
 大木の先に綺麗な堀切が見えてくる。

               
               






①堀切
堀切は高低差3~4mほど。
たいして大きなものではないが、残存状態は非常に良い。











 
堀切
 真ん中に切れ目があり、登りおりする道がついているが、当時からのものかはわからない。
 橋の可能性もある。
                
                





   

主郭側から①堀切を臨む。

こういう絵に 『萌え』 てしまう。(ちょっと今風)













さて、この北の堀切を超えると主郭である。
最高部はきれいに削平されているのだが、
西から南にかけてはちょっとダラダラしている。
崩れてしまったのだろうか。。。。。?









主郭の東側には土塁があったかもしれない。
木の周りに土がたまっただけかもしれないが・・・・・ちょっと自信がない。








   

堀切
主郭から西に下ると、深さはさほどでもないが、
幅の広い尾根を断ち切る堀切②がある。


 堀切を別角度で
 





   
③堀切
ちょっとわかりづらいが、主郭南の③堀切である。
埋まってしまっているのか、結構浅い。











    その他、主郭から東に派生する小さな尾根々々にも堀切④⑤がある。
    そういう意味では、全方位に丁寧に注意がはらわれている城なのであった。
      






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