2019
鹿沼市12
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
諏訪山城/1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 |
諏訪山城 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
◆浄書完成 解説改訂をするかは不明。気が向いたらやろうかな。
浄書開始 2016/1/20 |
浄書 諏訪山城の浄書をはじめた。 北城の発見が衝撃的で、そちらが先になってしまった。 いつもながらの牛歩な出だし。 いつになったら描き上がるのか? 謎である。 しかし、18日に降った雪のせいだ。 今日は有休なのにどこにも行けず、このようにサイトを更新している。 やっぱ、山に行きたい・・・・・。 |
6日目 修正調査 2015/11/22 |
6日目。 本日は、本城部分の修正調査❶❷と、”丸山”の調査❸である。 ❶は、主郭の西下に、 ゴルフ場の破壊を免れた堀切があるという。 ❷本城から北に続く尾根の調査 ❸本城から道路を隔てた、”丸山”の調査。 ここにも遺構があるという。 ◆電子国土から ❶さて、目的の場所へ移動するには、主郭下の縦堀を下る。 ◆マウスを乗せよう 何度も来たこの城だが、何回、縦堀を登ったり降りたりするんだろう。 この縦堀を下るのも、もう、3回目だ。 しかし、今回訪れる堀切は完全に見落としていた____ 言われなければ気付かなかった。 だめだなぁ~。 俺も、まだまだだ。 一体どんな、堀切であろう____?? ◆マウスを乗せよう きょ、きょ、巨大だ! 縄張り図で表したのは以下!よくぞ、残っていてくれた! 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ❷さて、次は北の尾根続き。 結構、管理人には気になっていた。 しつこいくらいに防御設備が続く主郭の南方面とは異なり、 11/13までの管理人の調査した結果では、北方面は明らかに防備が手薄である。 これは、何をあらわすか? つまり、この城は北方面からの敵の侵入をあまり想定していない事になる。 「本当に、そうなの・・?」 そう聞かれたとき、納得いくまで北方面に続く尾根を辿っていないことに気がついた。 で、今回はその続きである。 しかし、 結果、やはりこれ以上北には遺構の広がりは無さそうだ。 管理人が踏査したのは地図の×地点ほど。 主郭に繋がる尾根の鞍部には、堀切等の処理が全く施されていない。 これより先には行っていないが、おそらく何もないだろう。 ◆電子国土より 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ❸ さて、情報ではこの丸山にも城郭遺構があるという。 南方面を警戒する当城のセオリーから行けば、この丸山に施設があってもおかしくない。 早速登ってみよう! ◆電子国土より 管理人は山の北方から取り付いた。 ほどなく行くと、山頂手前で浅い堀に出くわした。 ひとまず、この堀は置いておいて、山頂を目指す。 しかし、とても荒れた山だ。 写真を撮ろうと思っても、全く写真にならない。 __山頂に着いた。 平坦に整地されているようだが、なんとなくはっきりしない。 仕方がないので、先ほどの浅い堀まで戻り、その跡をたどる。 浅い堀は、丸山北面では割とはっきりしているのだが、それ以外では道状となったり、曲輪状になったり・・・・ 慎重にたどってみると、結局、山頂から少し下ったところで、ぐるりと山を一周していることがわかった。 位置的には確かに、諏訪山城の一部と言われれば、そうとも言える。 南から迫る敵を、まず第一に監視する施設といえば、そうとも言える。 しかし、諏訪山城の遺構と比べると、完全に見劣りしてしまい、同時期に機能していたとは管理人には思えない。 なんとなくではあるが、中途半端な山頂の削平は、神社の跡のような感がある。 鹿沼近辺には堀に囲まれた神社も存在するので、この類の可能性もあるのではなかろうか? 諏訪山城が文献に現れるのは、そもそも15世紀の末~16世紀始め。 平野氏が作ったとされているが、ここ丸山が創設期の諏訪山城だったのか。 しかし、この考えも今一だな。 いずれにしろ____ パンチがない。 (6日目終了・・浄書に続く) |
5日目 本城部ほぼ完成。圧巻!尾根を取り込む空堀 2015/11/13 |
5日目。 本日のお題は、谷の中の遺構と、尾根を潰す空堀の接続である。 しかし、いやぁ、最近こんなにハマった城はなかった。 ほんと目が覚める。 さあ、今日も頑張ろう! 諏訪山城は本当におもしろい! 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ◆11/13分 現地生縄張り図 さて、土壇⑱の木橋を渡ると、道⑲が谷へと向かっている。 おそらく、この道が大手道と考えられる。 道はつづら折れとなり、道に沿って6段の曲輪⑳がある。 ◆マウスを乗せよう ◆谷間の6段の曲輪⑳ 綺麗に草刈されているので、後世の畑の跡かとも思ったのだが、 このあとの食い違い虎口㉑の存在で、往時の姿のままであると判断した。 虎口㉑ 下の写真は虎口㉑を、すぐ横の縦堀㉛上から見下ろしたものである。 完全に食い違いの虎口になっていることがわかる。 麓から、道㉒を上がってきた敵兵を、虎口で一度右へターンさせている。 しかも、縦堀㉛と連動させ、敵兵が斜面に逃げ込めない様にしている。 非常にテクニカルである。 ◆マウスを乗せよう 虎口㉑の南は谷となっており、水が湧き出している。 往時からのものか不明だが、谷の中には堤防㉓があり、水をせき止めている。 ◆㉕の縦堀 堤防㉓を渡ると、谷を隔てて曲輪㉔がある。 食い違いの虎口㉑の曲輪とは、道で繋がっている。 しかし、その南斜面の処理は曖昧であり、 ”ひょっとすると近代の削平地か?” と思いきや、縦堀㉕がその根元に配置されている。 この縦堀の存在から、曲輪㉔は往時からのものであろう。 ひょっとすると、この曲輪から ⑰の導入路に連動する道が伸びていたのかもしれない。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて視点を再び、山の上の曲輪㉖に戻そう。 ㉖は、ほとんど整形されていない空間で、ダランとした自然地形のままである。 しかし、その南に大きな土塁㉗と堀切㉗がある。 堀切㉘は、南東に派生する尾根上を空堀となって走る。 空堀は斜面上で約90m続く。 堀の城内側には、低い土塁が切岸に沿って構築されている。 ◆マウスを乗せよう ◆㉗地点から堀㉘を見下ろす ◆マウスを乗せよう ◆㉚地点から堀㉘を見上げる 南東の尾根上は、加工されているような、されてない様な・・・ とにかく、緩やかな斜面が下っている。 写真先に見えるのは、給水施設だが、 そこで尾根上の堀㉘は、90度、北に進路を変える。 進路を変えた空堀は、尾根を堀切状に分断し、縦堀㉛となって斜面を下っていく。 ◆マウスを乗せよう 堀が直角に曲がった地点に、虎口㉚がある。 給水施設工事で破壊されているようであるが、堀を渡るには土橋が伴っていたようだ。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 以上が本日の成果である。 諏訪山も5日間に及ぶ調査で、全貌が見えてきた。 フレックス縄張り図も、下のように巨大になってしまった。 ◆諏訪山・現時点フレックス縄張り図全貌 しかし、修正調査含め終了までは、あと一日かかりそうだ。 また、先行情報では、当城と道路を隔てた 「丸山」 にも遺構があるということだ。 その辺を調査して、”まとめ”に入っていきたい。 5 (5日目終了) |
4日目 横堀に囲まれた空間 2015/11/06 |
4日目。 本日のお題は、3日目の⑧食い違い虎口からの続きである。 先行図によれば、横堀で囲まれた空間を描くことになるはずだ。 では、当日の生縄張り図で解説していきたい。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 ⑨は、土塁で挟まれた格式のある虎口である。 よく見ると、土塁から袖状の土塁が出ている。 ⑨虎口対面には堀を隔てて土塁があり、導入は木橋の可能性がある。 ◆土塁上から、⑨虎口を望む。 ⑨の虎口の土塁は、高さ3mほど有り、西に続く尾根を分断する堀切⑫の壁となる。 この堀切から北斜面に落ちる縦堀は巨大で、下ってみると結局、谷まで続いていた。 管理人は縦堀を降りるたび、再び登ることを繰り返さなければならない。 おかげでヘロヘロである。 ⑩⑪ ⑨虎口以外にも北側の山下から上がってくる虎口⑩があるが、後世の改変の可能性がある。 また⑫の堀切を渡る虎口⑪も、道の流れから、後世の改変と思われる。 ⑬は、山裾をぐるりとまわる広めの曲輪である。 無量寿院方面からの緩い斜面を上がってくる敵を想定して、山裾を巻きスカート状に処理していると思われる。 ⑬の曲輪は⑨虎口に対し、横矢をかけている。 ⑬の山裾曲輪のもうひとつの虎口として⑭がある。 ⑭は山裾の長い堀に横矢を効かせるために、塁線上に富士山型の張り出しを設けた。 よって、この張り出しは矢倉台と考えられる。 この張り出しの肩を少し崩して、スロープ状の土橋導入虎口⑭を作っている。 ⑰は縦堀にも見える。 しかし管理人は、意図的に規制をかけた通路と考える。 ⑰を上まで上がると、正面に大きな矢倉台⑭に行方を阻まれる。 矢倉台下の右手には段があるものの、遮断壁ではないので、ここを登らせて⑭の虎口に達する。 これが⑰からのルートだったと思われる。 ◆マウスを乗せよう ◆マウスを乗せよう 下の写真は⑭虎口下の横堀である。 ⑮ ⑭の矢倉台から東にも、広めの帯状の曲輪が伸びている。 この曲輪に沿って、横堀もある。 通常であれば曲輪の端末⑯から縦堀が伸びるはずであるが、 なぜか、曲輪の途中⑮の地点から縦堀が伸びている。 これがどうしてなのか?、イマイチわからない。 ⑮の縦堀は深いものではないが、斜面に沿って35mは下っている。 なんでだろう? 意味がわからない。 全体を描きあげると、その意味が分かってくるのであろうか? (4日目 終わり ) |
3日目 連続虎口 2015/10/31 もう、蚊はいなくなりましたね。 |
この城にも3度目になる。 今回の縄張り調査は、主郭下南の虎口がスタート。 図面をご覧になればわかると思えば、虎口の連続である。 ◆本日の成果。 ①主郭下南の虎口は、平入りである。 導入は、ここを入ったあと、左手(西方)に上げていたと考えられる。 ◆マウスを乗せよう ② ①を下ると、②の虎口である。 ◆マウスを乗せて! ③土塁で、通路を狭めている。 ◆マウスを乗せよう ④写真左手が土塁。 ◆マウスを乗せよう ⑤ここもパターンは上記の虎口といっしょ。 ⑦の虎口は、最もハッキリした土段が残る遺構である。 ◆マウスを乗せよう ◆マウスを乗せよう ⑧ここの虎口は、土塁で食い違い虎口となっている。 今回は時間切れとなってしまったが、⑧の先には、大きな土塁をともなった象徴的な虎口がある。 ここまでが今回の成果であるが、思うのは、何故これだけ虎口を連続させなくてはならないのだろう? よく考えてみれば不思議である。 今後調査を進める上で、考えていきたいと思う。 。 (3日目 終わり ) |
2日目 長すぎる縦堀 2015/10/20 まだまだ蚊が多い! |
会社の有休を取って、再び諏訪山にやってきた管理人。 前回の調査で、諏訪山が事のほかデカそうだったので、スケッチブックから図面をバインダーに移した。 皆川城の時のように、一枚物の図面にしようと考えたのだ。 所謂 フレックス縄張り図法! ただ、着替えの時には邪魔なので、バインダーを車のルーフに置いた。 これが、いけなかった・・・・・。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて、息を切らし主郭まで登ってきた管理人。 ”さぁ、図面を書くぞ!” と、意気込んだ直後に気がついた。 あれ?!こないだ描いた図面どこ??・・・・・バインダーは? わ、わwっつ!!! くっ、くっつ、車に忘れたぁ~! 諏訪山城は比高120mほどある。 50越えの私には、どうしても車に戻る気になれなかった。 あれこれ思案の結果、スペアで持ってきたスケッチブックに、前回の続きを書くことに決定した。 歳はとりたくないものである。 ほんとに、俺は馬鹿だ。バカバカだ! 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 仕方なく主郭の南虎口から作図を始める。 ◆マウスを乗せよう ① 左の写真は、その虎口の壁である。 岩盤の削り出しのようで、 導入は赤矢印で示す。 上部は出枡形虎口となっている。 ◆①主郭南虎口パノラマ ② ここは、他のサイトでは、 主郭東下の ”堀切” と紹介されている。 しかし、目を向かって右に移すと・・・・ ◆マウスを乗せよう 向かって右側の導入路が、 奥の曲輪の壁に突き当たっているのがわかる。。 そう! つまり、ここは、ここは堀切ではなく、 枡形虎口である。 ___線が導入経路。 ③ この虎口の近くからは、大きな縦堀が伸びる。 それがまた、下にくだれば下るほど、深くなる。 結局、麓近くまで伸びていた。 この縦堀調査のおかげで、再び山を登ることに・・・・・ 考えてみたら、下りきった時にバインダー取ってくれば良かったな。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 疲れた体を引きずり、駐車場所に戻れば・・・・ あ~ぁ。(ち~ん) (2日目 終わり ) |
1日目 代打、諏訪山城 2015/10/18 |
上南摩・下の城の見学を拒絶され、大層ご立腹な管理人。 では、リカバリーをどうしよう・・・・・と、思いついたのが、この諏訪山であった。 しかし、何しろ行こうなどと考えてもいなかったので、場所も資料も何もない。 仕方がないので、スマホで検索! (城の位置)電子国土 便利な時代になったものだ。 城の位置を確かめ、現地に到着! しかし、すでに午後1時を回っていた。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 城跡は、無量寿院の裏山にある。 車は、寺の下のスペースに置かせていただく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 裏山を登り始めると、さっそく綺麗な縦堀が迎えてくれる。 「おっ、いいね、(・∀・)。期待が持てそうだ。」 さらに進むと、巨大な矢倉台を伴う虎口に遭遇。 「おっ、いいね、(・∀・)!」 主郭までの道のりは、近世城郭のようにハッキリ。 食い違い虎口の連続で、さっきまでの悔しい気持ちは、どこかへ消えていってしまった。 しかし、時間がないので描けたのは、主郭周辺のみ! 下の写真は、現地縄張り図赤い→で示した枡形虎口の導入部である。 すっかり、諏訪山城の虜になってしまった。。 行こうと (1日目 終わり ) |