2019
鹿沼市13
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
久野寄居 | 真名子 |
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2重堀のコンパクトな城 2015/11/28 縄張り図公開12/07公開 |
諏訪山城を調査している中で、杉浦昭博氏「粟野城と諏訪山城をめぐる一考察」という論文を読んだ。 その中で、氏が新発見した ”久野寄居城” の存在を知った。 城のふもとに、久野山長榮寺という寺がかつてあり、その隣に現、寄居聖観音堂がある。 氏は、この「寄居」地名から、この城を発見されたそうだ。 杉浦氏はこの城を、位置関係から見て諏訪山・粟野城との関連を指摘されている。 さて、早速登ってみよう。 _____________________________________________ 車は近くの小松神社にとめさせていただく。 境内には大きなイチョウがあり、その周りには銀杏が山ほど落ちている。 ”落ちている銀杏はご自由に。ただし、木を揺らして取るのは禁止” 的な文言の看板がぶら下がっている。 久野寄居城は、この神社の目の前の山だ。 周りを見渡すと、ゴルフ場の先に、チョコンと頭を覗かせている山がある。 地形図で確認すると、それは「諏訪山城」であった。 杉浦氏が ”当城と関連あり” としたのは、この景観からも伺える。 特に道もなさそうなので、そのまま山を直登する。 途中、垂直の岩盤壁もあるので、もし行かれる方がいらっしゃれば注意されたい。 |
【解説】 汗をかく間もなく、山頂に到着する。 当たり前だが、車をとめた小松神社方面(北方面)がよく見える。 とりあえず南側が尾根続きなので、そちらに足を向ける。 今、自分のいる場所が、おそらく主郭だと思うが、曲輪の加工はほとんどしていない。 ◆主郭内部 しかしよく観察すると、西面のみは切岸が設けられ、その下に細長い曲輪?通路?が南北に延びる。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 主郭を南にほどなく行くと、小ぶりいい堀切が見えてきた。 ◆主郭外から撮影 ◆主郭外から撮影 ◆堀切内から(左手が主郭) ◆主郭内から堀切を望む 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 この堀切の先には、もう一本堀切がある。 ◆マウスを乗せよう かなり崩れているが、間違いなく土橋の跡が残る。 つまり、南面は2重堀で防御を固めている。 また、2重堀同士は、西面のみ細長い曲輪で結ばれている。 通路としてはおかしいので、おそらくここも堀になっていたのでは?と推測する。 この城の山頂付近の西面は、東面に比べ傾斜が緩い。 そのために、西面のみ曲輪、堀の加工が施されていると考える。 ◆堀切西下端を繋げている ◆マウスを乗せよう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 築城媒体については、管理人はよくわからない。 ただ、少なくとも諏訪山城の城の作りとは明らかに異なる。 もちろん、このような小規模な範囲の中で、諏訪山のような縄張り発想・構築はできないかもしれない。 しかし、なんというんだろう・・・ ____匂いがしないのである。 もしかしたら城が使われていた時代が違う?のではないだろうか。 (久野寄居城終了) |
真名子城sk
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第1回 結構グズグズな城 2016/10/29公開 |
西方城の真向かい、真名子城を調査しに出かけた。 時間があまりないので、整備された城を見ようと思ったのである。 ここの城は立派なパンフレットもあり、登山道もきっちりあるらしい。 では、、早速登ってみよう。 _____________________________________________ 現地に到着。 車の置くところは見当たらない。 あとで探すとして、立派な看板もあるので、ちょっとあたり偵察をしてみる。 ◆真名子城の道標 ◆真名子城の案内図。関口和也氏のものだ。 『このあたりから見学路があるはずだが・・・・・・・・・・・』 ちょ、ちょ、ちょっ! と待てよぅ。 道が猪防護柵で覆われているではないか! 写真でもお分かりになると思うが、向こうに見えるのは 『真名子(赤壁)城』 への道標である。 ”どっか、入れる所があるだろう・・・・・・” 猪防護柵は、人間は入れるように扉が付けてあるもんだ。 でも、 ひどい、酷すぎる。 地元の人の生活を守る猪防護柵とは言え、完全に登城路は塞がれていた。 おまけに、これじゃあ、中のお墓にもお参りできなくなっている。。。。 ・・・・・・・・・・・・・・撤退しよう、ここは無理だ ___________________________ 仕方なく、近くのお寺・円満寺に車をと目させて頂く。 事情を話して、ご住職に寺の裏山から登らせていただく許可を得た。 そして、 道なき道を歩いて、やっと主郭に到着だ。 主郭周りの切岸はしっかりしている。 しかし、主郭より下位の曲輪は、結構グズグズ。 壁がまったくしていない 時間がないので、麓に下りてみると、 そこには山上より明確な遺構が広がる。 これは、きっちり二重堀である。 これを描きに来るのは、まだまだ先のことだな。 とりあえず、時間のない中、本日の成果はここまで。 (つづく) |