2019

壬生町  枠内の城名を触ると、縄張り図にジャンプします

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
   この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
   (注)遺構が無いからと言って、そこを城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。

壬生城sk





壬生城sk
 電子国土・位置のリンク

壬生城・【その1】 2007/11/25

 copyright 2007masaki
【解説】

壬生城は、悲惨な現状である。
主郭には、土塁と水堀がほんの僅か残るだけである。

主郭から離れた場所にも遺構が点在する。
右の写真の木立は、主郭から南東200mにあるが、この中に、大きな土塁と堀が残っている。
しかし、完全な私有地となっている上、周りは壁で、隙間からしか中が確認できない。

壬生城には、城門と伝わるものもいくつか残っているらしい。
町中には古いお屋敷が沢山あって、城門と見間違える屋敷門がいくつも見受けられる。

古い町並みや屋敷は残るが、遺構はバラバラ死体のように壊滅状態。
不思議な城下である。






◆堀が残るものの・・・・
壬生城・【その2】 2009/07/06 i移築城門


壬生城の城門が移築されているということで、雨の中鹿沼にやってきた。





写真で見るとそれほどでもないが、
現地で見ると、
鏡柱(正面縦に建つ2本の柱)も太く、
なんとも重厚で立派な高麗門である。





















横から見たところ。
かなり痛んでいるようで、
控え柱が少々傾いているようだ。(控え柱=写真右手の縦の柱)























門扉や、金具も健在のようである。

が、指定もされておらず、
なんとも、寂しげである。
























移築門は、瓦の吹き替え時に、
紋瓦で無くなる例が多い。

しかし、
この門の瓦はしっかり軒瓦に三つ巴紋や唐草文様が付いている。
ひょっとしたら、往時のままなのかな?





















さて、壬生城の本丸公園の外には
左の門が復興されている。

この門の位置はめちゃくちゃだが、
外観は、上記の門と冠木の掛け方が違うものの、瓜二つである。

(冠木=水平に走る太い柱)

















位置(マピオンへのリンク)⇒ 門の位置  個人のお宅の通用門なので、くれぐれもご配慮を


                               
壬生城・【その3】 2010/08/10移築城門






小山城のほど近くに、この城門はある。



























目と鼻の先の、小山城の城門では無く
壬生城の城門が、なぜ、この地に移されたのか?

我々にはわからない数奇な運命をたどってここに来たのだろう。











この門は薬医門形式である。

控え柱が無く、扉用の屋根もない。




















よく見ると細々とした装飾が各部に施されている。

その格式から、御殿前などの中枢部に近い場所にあったのではないかと想像してしまうが、
果たして、いかなるものだったのか?

















位置マピオンへのリンク →個人のお宅なので、くれぐれもご配慮を


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