2019
那須烏山市
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
【城の概要】
2016年、シボレさんの情報から発見した城。
今までの資料で、この城を紹介したものは皆無である。
この山の麓が「リュウガイ下」と呼ばれることから、背後の山を調査したところ城と確認できた。
烏山城との位置関係から、烏山方の城と考えられる。
レポート 監視の城 2016/12/24 |
久々に新城発見だァ! ◆現地縄張り図 【解説】 当ホームページのお客様 「しぼれさん」 から久々に投稿があった。 『 今日は那須烏山市大沢字リュウガイと呼ばれる地域の206m標点ピークを歩いてきました。 西尾根に一か所、東尾根に2カ所、北尾根に微妙な凹凸を見てきました』 ”リュウガイ”とは言うまでもなく、 『要害』 が変化した城郭関連地名。 きっと城であるに違いない。 管理人は現地に飛んだ _________________ 場所は、下図の三角点。 烏山城の東方3.5kmにある。 麓に ”大沢上境林道” の起点があり、車は、ここに置かせてもらった。 国土地理院・電子国土より 早速、山に入りたいが、しぼれさんの情報と同じように、 一番取り付きやすい西に延びる尾根には、ロープが張ってある。 ”ここはダメだな・・・・・・” 仕方ないので、山を回り込む。 地図を見て頂ければわかると思うが、この山の南側には林道が回っている。 管理人は、この林道の適当な場所から取り付いた。 山頂に近づいてくると、びっくり。 断崖絶壁なのである。 そういえば投稿者のしぼれさんも、この場所を ”災害危険地域MAP” から炙りだしたという。 納得である。 崖から下界を臨めば、このとおり。 はっきり言って・・・・・・・・こわっつ! ________________________ 登ってくる途中には、段のような、曲輪のような切岸も見られるが、今ひとつパンチがない。 踏ん切りがつかないまま、管理人は山頂に着いてしまった。 なるほど、三角点が設置されている。 しかし、まわりを見渡しても何も無い。 仕方がないので、東に延びる尾根を下ってみる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すると。 ちょっと浅いが、 なんか、堀っぽいぞ! 上から臨むと、下にも堀?かな? 近づいて下方向を望む。 下ってみると、やっぱり、堀切だ! かなり埋もれているが、堀切に間違いない。 つまり・・・・ 最下段から見あげると、こんな感じ。 堀が二段になっているのが、お分かりであろう。 二重堀切から、さらに東に進んでみると、 そこは再び断崖絶壁となる。 ここは怖くなって、退却・・・。 管理人は、再び二重堀切に戻る。 よく見ると、この堀切からの切岸は、ハチマキ状に山腹を周り、西の断崖まで続いていることが観察できた。 ◆ハチマキ状にのびる細長い曲輪と切岸。 さて、この城は曲輪の加工も甘く、堀切だけの城である。 非常に簡単な構造から、暫定的に作られたものか、監視のための施設と考える。 改めて地図を見てみよう。 リュウガイ城は烏山城に非常に近い場所にあり、麓を走る街道を見張っているように見える。 また、南西に走る谷の合間から、烏山城を覗き込むような位置にもある。 しかも、堀切だけの急ごしらえ感の強い城。 烏山側の城なら、そんなに慌てて作らなくてもいいのに・・・と思ってしまう。 烏山城では、かなりの戦が行われた。 よって当初、管理人は、リュウガイ城は烏山に対峙する者の城と考えた。 しかし、近隣の稲積城と高館城の位置関係が、烏山城とリュウガイ城の関係に、非常によく似ている事に気づいた。 また、リュウガイの尾根続きの小さな堀切処理、縦堀の位置関係も、高館城の造りにそっくりなのである。 しかもリュウガイ城の近く、那珂川を渡る橋の名前は『境橋』。 境界を示すものである。 以上から、リュウガイ城は烏山那須氏側の城として、国境を警護した城と見るようになった。 ◆電子国土より コンプリート |