2019

 

野木町2 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。


          

針ヶ谷氏(屋敷)sk

針ヶ谷氏(屋敷)城の位置  ※中心位置表示にチェックを入れてください


これ、ほんと城???  2017/1/17



帰省中の娘が神奈川に戻った。
なるべく近くから電車が乗りたいということで、茨城県の古河まで車で送ることになった。
その帰りに立ち寄ったのが、この針ヶ谷氏城(屋敷)である。

日も少し落ちかけた午後3時近く。
野木町の根渡神社参道前に車を置く。。

パッと見た目、このそばに遺構は無さそうだ。








鳥居脇で雑草を刈っている男性がいた。
苦手だが、声を掛けてみる。

「すみません、針ヶ谷屋敷を見に来たんですが、見学させていただきたいのですが・・・」

「あぁ、それなら俺んちの土地だから構わないよ。
 この参道をまっすぐ行けば、跡はすぐわかるよ。」

「あ、どうもありがとうございます」



言われたとおり、参道を直進する。




      すると_________







                           おっつ!





  
                  ◆現地縄張り図
              


                   

              



             空堀である。

             さらに進むと___________

                                

                              



                           おっつ!

                        
 ③
               


                           おっつ!

                     

               


     




                     ___________________________________


                   

  うーんっ。。。。

  全体図でみると、なんとも奇妙である。
  おかしいのは、堀が①②の写真部分で、鋭角に交錯しているところ。
  普通、堀というのは直交~鈍角以上で交わるものだ。
  ところが、ここは違う。
  管理人の見識では、縦堀以外、前例がない。

  
                            

  
  本城は小山氏の家臣、針ケ谷氏が築いたものとされる。
  しかし、どちらが城の内側なのか、外側なのか高低差がイマイチ。
  堀幅もそんなに広くないし、戦闘意識が薄い。
  近代屋敷地の境界として作られた可能性含め、もうちょっと考察が必要な気がする。

  古い航空写真も見てみたが、今の段階では、



   なんだこりゃ?ほんと城か、これっつ!?


  って、つい言いたくなってしまう。。。。。。。


                                   (とりあえず完成)





inserted by FC2 system