2019
栃木市
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
神楽岡城sk |
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【城の概要】
神楽ヶ岡城は、皆川氏の城と言われている。
宇都宮氏に対する北の守りとも言われ、地名の富張は「遠見張」から来たものとも言われている。
西方城に向けての備えであろうか。
大ぶりな曲輪取り、谷をつなぐ空堀、馬出の存在など、見所は多い。
◆神楽ヶ岡城 彩色図
栃木では、なかなか無いパターン 2016/10/24 12/18(中城研例会) 公開 |
今日はいい天気☼である。 先学の情報から、神楽ヶ岡城に行くことにした。 待ち合わせは、東北自動車と国道293号が交わるところにあるファミリーマート。 ここから、城の勇姿を拝むことが出来る。 神楽ヶ岡城のすぐ横には、東北自動車。 危ない、危ない。 もうちょっとで破壊されるような位置。 おかげで遺構は、よく残っている。 ◆Google mapより 神楽の堀跡が、よくわかる航空写真だ。 これを参考に、縄張り図を作成した。 |
◆現地縄張り図 神楽ヶ岡城は、皆川氏の城と言われている。 宇都宮氏に対する北の守りとも言われ、地名の富張は「遠見張」から来たものとも言われている。 大ぶりな曲輪取り、谷をつなぐ空堀、馬出の存在など、見所は多い。 ◆改訂版 2017/01/11掲載 |
この城で写真をいっぱい撮った しかしながら、 問題発生! これは主郭から下位の堀を眺めたところだが、 撮った場所がイマイチわからない。 これも、主郭から下の堀を眺めたところ。 でも、どのあたりから撮ったんだろう? しかし、立派である。 これは、おそらく主郭への入口。 横矢が掛かっている。 これは、主郭北の土塁を城外側から見たところ。 緩い斜面に切岸がしっかり残る 主郭堀内部に入り、撮影。 主郭堀。 実にいい眺めだ。 これは、南方の馬出部。 別の角度から。 ・・・・・とまあ、写真を撮ったものの、撮った場所がよく思い出せない城なのでした。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- 2016年 12月18日 当城において、中世城郭研究会12月例会が実施された。 管理人が、現地に皆さんを案内。 そうしたらびっくり! 10月には藪だらけだった場所も、綺麗に草刈がされており、城見学には最高の状態に。。。。 特に主郭南の空堀は、全貌バッチリだ。 そして描き直したのが冒頭の縄張り図である。 中城研のみなさんも大変満足いただけたと思う。 夜は近くの坂東太郎で、宴会状態でした。 とても、楽しかった。 (神楽ヶ岡 コンプリート) |