2019


宇都宮市 5 

 ◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
 ◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
 この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
 (注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
 ◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
  パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。



中城sk  下田中城sk 外和田城sk







中城sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください


 破壊の極み 2016/3/12 
  
    今日は、暇である。
   しかし、天気も悪く遠出もできない。
   仕方ないので、簡単な城はないか?と探っていると、この城の存在に気づいた。
   資料によれば、折のある土塁が残っているという。

    ”じゃあ、ちょっとだけ行ってみるか・・・・”

   管理人の重めな腰が持ち上がった。

         
      
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





さて、現地に着いてみると、なかなか城が見つからない。

  ”場所はあっているんだがなあ・・・”

しかし、あたりは一面の田んぼである







   まわりに人が居るでもなく、あたりをグルグル徘徊していると、遠くの方に高まりがあるのが見えた(下写真)

                




         


  いろんな情報を総合すると、ここが中城と呼ばれている事は間違いなさそうである。
  が、しかし。。。。。。。。



                     ◆縄張り図





   近くに行ってみると、果たしてそれは土塁のようだ。  







土塁は南の方で鍵型に曲がっている。
堀はあったのか、なかったのか、さっぱりわからない。















   城は完全に破壊されている。
この残っている土塁も、築城当時のものなのか?
断言できないところである。




  位置的に見て、多気山城との関係も指摘されているが、よくわからない。
  だいたい、この土塁と言われる遺構も、”城のものである”と断言できないものである。   

            
 

 この城から辺りを見回すと、妙に目立つ山がある。
 調べてみると、戸室山という独立丘であった。
 こちらの方が城には向いていそうだ・・・ということで登ってみた。
 中腹に神社があり、ハイキングコースも整備されていた。
 しかし、残念ながら、城の遺構は無い。

        
                                    
                                        (中城 おわり)     












下田中城sk(仮称) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください


新城発見! 徳次郎城の監視補佐? 2015/12/29 
  
   
         
    当ホームページのお客様、しぼれさんからの久々の投稿。
    「宇都宮市・下田中の山に堀切のような跡がある」 と、写真付きで投稿されてきた。

    場所は、徳次郎城の西方約1km、標高270mの山だ。。

                  
    投稿によれば、あまりはっきりしない堀がいくつかあるとの事。
    他ならぬ常連のしぼれさんの情報である。
    「きっと何かある・・・」
    そう直感した私は、早速現地に行ってみることにした。

               ◆電子国土より



              で、調べた結果、遺構はかなり薄いですが___



                       やっぱり城でした!

                  


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    

  

 宇都宮有料道路の徳次郎IC横。

 車は、国道293沿いの道路脇に留める。

















  正面に見える山が、目的の山だ。















 


 城跡へは、国道293脇から入る。
 
 下写真の墓地から、尾根に取り付くことができる。










                                    


   


 
【解説】


   さて、尾根を登ること5分ほどで、
              
  「んんっつ、堀切かぁ?」 
               ◆マウスを乗せよう
   ◆位置●(YAMAPより)

   

   横から見ると、このとおり
                  「こりゃ、堀切っぽいぞ」
              
 



 期待を胸に先に進むと、再び段差が見えてきた。
 よく観察すると、ここも堀切のようで、土橋ルートも薄っすらとわかる。

               ◆マウスを乗せよう
    




 ここを上がりきると、5~6メートル四方ほどの小さな空間となる。
 後述の堀切と挟まれているところを見ると、2重堀切と言うよりは「馬出し」と言えるのではなかろうか。
         


 そして、再び堀切である。
 ここが、この城で最もしっかりしている堀切である。
 堀切の両袖は縦堀となっているが、それほど長いものではない。

  





    ◆マウスを乗せよう





堀切を超えると、堀縁は土塁となっている事がわかる。







           ここからは、しばらく自然地形の細尾根が70mほど続く。
           おそらく、ここが周囲で一番高いので「主郭」と言えるのではなかろうか。
           
           自然地形の細尾根を北に進むと、下写真のような岩がゴロン。
           ここが、北端となる。

           

         


         主郭相当の曲輪は、標高270m(GPSでは263m)
      
         ◆位置(YAMAPより)




          ここから北は急坂となる。
          さらに岩崖となり・・・・
               



           その先は、おそらく堀切であったと考えられる。
           堀切には、土橋かかっていたようだ。
          ◆マウスを乗せよう
        




 ここからさらに北は、緩い尾根がしばらく続く。
 小さなピークを一つ越えると、尾根は西に向かうが、そこにも堀切状の遺構が残っている。
    
    ◆位置(YAMAPより)

   遺構の紹介は以上である。
   堀切だけで、曲輪取りのはっきりしないところもあるが、まちがいなく「城」であると判断する。
   再び、新城の発見だ。

                          
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         この城の意義であるが、やはり徳次郎城との関係を否めない。         
         下田中城は、日光街道を軸として徳次郎城と対称の位置にあるからだ。

         徳次郎城は、宇都宮氏が後北条・日光勢力の監視として築いたといわれる。
         徳次郎は平城であり、眺望は全く効かない。
         そのため、この下田中城が眺望面で補佐し、敵の動向を監視していたと言って良いかもしれない。  

         ちなみに下田中城の峯続き、標高292mの頂には何もなかった。
                         ◆標高292mの頂



                              (下田中城コンプリート)









外和田城sk(仮称) 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください

【城の概要】
全くマークしていなかった城。
多気山と関連があると思われるが、歴史等は全くわからない。


 レポート 新城確認  えっ!こんなところに・・・2017/1/22 
  
    宇都宮氏在住の中山さんという方が、駒生町に新たな城を確認された、という情報を間接的に頂いた。
   手元に資料も頂いたので、早速現地に向かってみた。

   案内図によれば、目的の遺構はこの林の中にあるはずだ・・・・・・・

            



   管理人の見たものは・・・・・・・・・・・




                 正真正銘のお城でした!
                      
※城の呼称については、中山氏の命名に従った
                        

    城は一辺が40m程の単郭。
    いわゆる、俗称・居館タイプの城だ。

    しかし、えー!?なんでこんなところにぃー
    私の手元の資料には何も掲載されていない。
   
    しかし、現実は北辺と東辺に、見事な横矢が設置されている・
   
   
    場所は大谷磨崖仏から1.5km程のところである。
    地図の+の位置である。
    東北自動車道のすぐそば。
      
                 ◆電子国土より
 

  

          ◆西面の堀。ここが一番残存状況が良い。
 


           ◆わかりづらいが東辺の横矢
     


            ◆郭内にはほぼ全周土塁が回っていたようだ・
     

  当然、多気山城との関係が考えられるが、城の歴史については皆目見当がつかない。


  なお、私有地であるので、立ち入りは必ず城、南側のお宅に断った方が良いだろう。



                         ( おわり )     



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