2019
宇都宮市 6
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
多気山城sk |
多気山城 from 2017sk 電子国土へのリンク ※中心位置表示にチェックを入れてください
第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 | 第6回 |
【概要】
じつは、この城の築城の年代は分かっていない。
天正年間、小田原北条氏は北関東に破竹の勢いで攻めてきた。
宇都宮国綱は、これに対抗するため当城を築城し、一族郎党を引き連れて来たという。
第6回 すごい藪 2017/12/16 |
今日も、いつもの場所に駐車。 すっかり、葉っぱは落ち丸裸な木となってしまった。 この日は、老夫婦が落ち葉の中から銀杏を袋いっぱい拾っていた。 私は、ちょっと臭いが苦手なのでやめておいた さて、本日のお題は、5日目の続きと、いよいよ主郭南の調査である。 主郭南の枡形門を下るが、ここがものすごい藪なのである。 突入すると、 「痛っつ!いててってて」 そうなのである、ここの藪、只者ではない。 トゲトゲのイバラ、トゲのある草、おまけに木の幹にまでトゲがある。 要は、どの植物にもトゲがある。 おかげで、曲輪の形は取れないわ、怪我はするわで完全意気消沈してしまう。 ちょっとしか描けていないが、この曲輪は主郭への正門的な役割をしている。 とにかく、ここの枡形門は、今まで見たものよりキッチリした城門遺構である。(図中正門と書いた) ゆるやかに登りながら、向きを変えさせる虎口構造は、戦国の匂いを味わえる遺構である。 しかし、この門から主郭虎口へのルートがイマイチわからない。 正門を入った後の曲輪内には、確かに人の造作がある。 門から、すぐ北に上がっていったか?、はたまた少し迂回させていたのか? 藪が全てを隠してしまっている。 実は、この遺構に訪れたのは、今回で2回目である。 というのは、かつて、この城山は大規模な間伐が行われた。 その時、城の遺構が非常に見やすいということで、子供と歩いた写真がある。 確認すると、時は2008年の2月。 正門の状況の今昔が、以下の写真である。 信じられないかもしれないが、全く同じアングルである。 これを見ると、2008年に調査しなかった事が、本当に悔やまれてならない。 9年間の荒廃度合いが半端ない。 正門の開口に写っているのは、我が息子である。 当時、かわいい小学生だった息子も、今や大学生である。 遺構の状況も、幼かったあどけない息子も、今となっては戻ってこない。 ◆2008年2月の枡形門 ◆現在(2017年12月)の状況・・なにがなんだか・・ ついでに、2008年の主郭下の曲輪の写真もあった。 ①方向 から見ている主郭虎口。 今では考えられないくらい、きれいに見える。 今日は完全に正門前のヤブで意気消沈してしまった。 仕方がないので残りの時間で、主郭下の帯状の曲輪を歩いてみた。 (上記縄張り図、主郭下堀跡と記載) かなり埋まっているが、どうもここは全面堀だったようである。 藪はススキ系だからトゲも無く歩きやすいが、地表面調査は苦しかった。 主郭の南面を全て堀で固めていたようである。 ここも2008年の写真があった。 写真②方向 今とは全く違い、主郭切岸にも杉が植わっていた。 その木陰のおかげで、下草が少なく、主郭の鋭い壁がよくわかる。 たしか2008年以降、ここは主郭からの展望を良くする為に、杉を完全伐採した経緯がある。 展望は良くなったものの、おかげで現在は、上の写真のように草が生え放題、ぼうぼうである。 |
第5回 また行っちゃった 2017/12/07 |
会社をさぼって、またまた多気山へ。 狙ってきているのだが、今日もいい天気である。 朝10:00に調査を開始した。 早速、本日の成果を見ていただこう。 黄色の網掛けが5日目の調査である。 4日目の南側の尾根、東斜面の続きである。 _________________________________________ 崩れが多いものの、遺構はキッチり残っている。 縄張り図1を見ていただこう。 まず、4日目調査の大枡形門に続く曲輪は空堀である。 この円弧状に回る帯状の曲輪は、本日5日目に調査した尾根まで伸びている。 尾根頂点には土塁の切れ込みがある。 虎口のように見えるが、図にある城道の存在から、後世の改変と見た。 虎口では無い。 この城道を監視するため、この土塁は繋がっていたと考える。 この切れ込みのある曲輪から先の尾根は、自然地形。 ほんとにハッキリしているな。 また、この切れ込みの曲輪直上に、 緩い斜面上をわざわざ切り崩し、平坦面を作った枡形虎口(図では虎口と書いてある)がある。 この緩い斜面上に、今は崩れて見えないが、南北に城道が走っていたようである。 ◆縄張り図1 マウスで触ろう・・・緑線が管理人の考える城道 ◆土塁の切れ目は後世の改変と見た。虎口ではない。 縄張り図2 縄張り図1のさらに南側の尾根である。 この尾根は、主郭の直下となる。 既存の縄張り図では、縄張り図1の尾根と当尾根を結ぶ城道が描かれている物がある。 しかし、管理人は確認できなかった。 特記すべきは、曲輪Aから、主郭下の枡形虎口Aに伸びる道。 かなり崩れているものの、しっかり直線的に連絡している。 ◆縄張り図2 マウスで触ろう・・・緑線が管理人の考える城道 ◆枡形虎口Aから主郭枡形を望む。 曲輪Aには、曲輪の南北両側に回り込む城道があったようである。 現在のハイキングコースは後世の改変である。 このうち、曲輪Aの南側の城道途中に、水が湧きでる岩盤がある。(下の写真) このような山頂に近い部分で、水が湧く場所は非常に貴重であったろう。 この道は、曲輪Aに繋がっていたようであるが、曲輪内の伐採で出た間伐材で、道が消失してしまっている。 ◆水の湧く岩盤 主郭直下の曲輪Aを主郭から望む。 城道のつながりから、管理人にはここが大きな馬出に見えてきた。 PM2:30調査終了。 4時間半の見学 本日の記念に山頂でポチッとである。 PM3:00 下山した私を待っていた追跡戦闘車。 彼に注ぐ光は、すっかり夕日のような様相であった。当た なにしろ、今は日が短い。 私 の また次が見たい! |
第4回 連続枡形門から見えてきた、この城の築城セオリー 2017/12/03 |
今回の調査は、第3回目の調査から一つお隣の東の尾根遺構群である。 管理人は、この城に ”未成形部分が多い”、”曲輪縁辺部のみしっかり普請している” 所から、 「ものすごい急ごしらえ感のある城だ」 と先に述べた。 しかし、今回の遺構を見て、その考えを改めることになる。 |
今日もいい天気である。 別の車で、いつもの駐車場に停車。 いつものように山頂を目指す。 そして、いつものように良い眺めの山頂である。 さて、第4回目の調査結果は紫の部分 調査し始め、これらの曲輪は、なんかハッキリしない遺構だなぁ~、と感じていた。 未成形部分もあるし、土塁もあるにはあるが、明確なものではない。 曲輪内部には、微妙な切岸がたくさん存在しているのだ。 しかし、この微妙な切岸を丁寧に絵に描いているうちに、 と思うようになってきた。 なんか、これ、枡形門・・・??? そう思いだしながら、さらに切岸をたどると・・・・ あれ、ここもだ。あっつ!ここも!! ◆虎口の写真を撮っているのだが、どれもこれもわからない・・・・・汗 ( ̄◇ ̄;) そうなのである! これらの微妙な切岸は、自然地形や、意味の無い段差などではない!!! 一つ一つが、ちゃんと意味をもっている事に気づいたのである。 図で今回の曲輪の枡形門を描いてみよう。 すると、この様になる。 まさに連続枡形門の宝庫のような曲輪群なのである。 下位の曲輪から上位の曲輪へ行くには、これだけの枡形門を通らなければならないのだ。 管理人の考える登城ルートは以下のように想定できる。 ということからも、この城の切岸一つ一つに意味があると考えなければ!と思うようになった。 __________________________________________ 振り返ってみて、第3回目の調査範囲を見てみよう。(下図) このA曲輪のコーナーから、緩やかな緩斜面に袋状に切岸が垂れ下がっている。 何のため?意味無いなぁ、バカじゃない?。。。と思っていた。 しかし、上記のことから良く考えてみると、この切岸はA曲輪のコーナー、つまりは一番斜面が緩やかになる部分を潰している事に気づくのである。 しかも、この切岸に沿って敵が移動すると、曲輪Aの虎口方向に誘導させられる。 他の流れは直上の切岸にさらされる。、 そうなのである!! 一見、なんの意味も無いように見えるこの袋状切岸は、斜面の緩い部分を潰し、 そして、敵を虎口方向直上攻撃が仕掛けられるように誘導するための物だったのである。 ”うー、よく考えられてるなぁ。” まさに反省である。 切岸に一個一個に意味があるとなると、他にも、色々考えさせられる切岸がある。 それを考えて調査しなくてはならない。 既存の縄張り調査では、これらは完全に無視されている。 今日までの調査を通して言えることは、 管理人が ”未成形部分が多い” ”曲輪縁辺部のみしっかり普請している”という風に感じたのは、 この城が無駄な工事をしていないだけなのだ。 ”やるところはしっかり普請する、 やらないところはやらない” という築城セオリーが見えてきた。 そもそもこれだけの規模の城である。 これだけの規模の城を 「急ごしらえ」 で作れるわけも無い。 このような言葉を単純に使ってしまった自分が恥ずかしい。 この考えは完全な誤りだった。 改めて言おう。 これからは、切岸一つ一つ、その意味を考えながら調査しなければならない。 多気山城、マジ面白くなってきた! ◆山頂からの眺め あしたも、会社休んで行っちゃおーっと |
第3回 北方調査続き 2017/12/02 |
昨日は飲み会で、体調がイマイチ しかし、今日は快晴。 動かない体を引きずりだし、多気山にやってきた。 午前10:30。 いつもの駐車場の銀杏は、だいぶ葉っぱが落ちてきた。 今日も主郭を目指す。 駐車場から約20分。 比高150m。 たいした登りでもないのだが、二日酔で今日はキツイ。 城全域を調査するには、ここを何度登る事になるだろう。 午前10:50。 いつものように、「多気城」の碑と、大きな桜の木が出迎えてくれた。 午後2:30。 体調がイマイチで、調査終了。 約2時間30分の調査である。 全体図から見た、本日の調査分は黄色の網掛け部分だ。 なにしろ形の取りにくい曲輪であった。 図にしてみると、「なーんだ、大したこと無いじゃん」 と思うかもしれないが、 切岸の方向と長さが合わず、何度も曲輪周りを歩いた。 既成の図面も間違っているようで、まったく頼りにならない。 なにしろ、この曲輪は木や草で見通しが効かない。 上位の曲輪との位置関係を合わせるのに、一苦労だった。 4,5周して、やっと形が整った。 遺構としては、東辺中央に綺麗な枡形門が残る。 写真映えしないが、下は枡形門開口部である。 この曲輪を降りると、ほとんど未整形と言って良い尾根が続き、その先に堀切がある。 非常に浅く、頼り無い堀切である。 堀切の先には、小さな段があるが、城のものかどうかわからない。 この尾根に対しては、 ”この堀切で終了” と言って良い。 帰りしな、いつもの場所で写真を撮った。 ”よし、明日はもっと、体調を万全にして来よう!” あら!? 明日も来るつもり?(自問自答) |
第2回 北方調査 2017/11/19 |
昨日の疲れも残る中、引き続き、神の領域にやってきた。 時刻は9:00. 昨日に変わって、今日はいい天気。 やはり光があると、銀杏も見え方が変わってくる。 ◆今朝の市営駐車場 20分ほど駐車場から登り、多気山頂上へ。 まったくもって、この山からの眺めは最高である。 天気もよく、とても清々しい。 小田原の役の前、後北条勢力は関東北部にまで侵攻していた。 後北条に対抗していた宇都宮国綱は、この危機に、一族郎党を引き連れ、平地にある本拠宇都宮城から多気山へ移ったという。 故に、この城からは、宇都宮方面、関東平野が本当によく見渡せる。 まさに、当時の彼らの気持ちを反映している場所なのだ。 よっぽど、後北条が怖かったんだろう。 さて、今日からのお題を、主郭北尾根方面と決めた。 主郭矢倉台下は堀切になっている。 崩れてしまっているのか、堀底の通路はあまりはっきりしない。 ◆主郭矢倉台下堀切 主郭の北にある 曲輪 Aは、主郭側の高い切岸に見下ろされる。 この切岸は圧巻である。 この曲輪Aは、北の尾根遺構群とは、綺麗な竪堀で分断される。 つまり、この曲輪Aからは北の尾根には向かえない。 さて、堀切を渡りきると、小さな曲輪Bがある。 草が多く、遺構も潰されている?ようで 真ん中の崩れている部分から内部に入ったようである。 よく見ると、曲輪B周囲を低い土塁が巡っている。 機能的には、主郭前面の馬出的な曲輪と言って良い。 曲輪Bを出ると、、曲輪Cになる。 内部は、殆ど未加工状態。 しかし、その縁辺部の切岸と、縁辺部に局部的に明確な遺構、枡形門、虎口がある。 まだ大してこの城を見たわけではないが、主郭も含め、曲輪内部には未加工部分が多いように思われる。 迫り来る後北条氏という脅威に対し、大勢の人数を収容できる城を ”なにしろ早く作れ!!” という気持ちで臨んでいたのではなかろうか。 ものすごい、急ごしらえ感を感じるのである。 とにかく敵を防ぐ外壁を最優先しているのではなかろうか?。 このあたりは、外構工事を先に行い、内装工事はその後となる住宅建築と同じであるが・・・・ これから先、この城を見ていくのが楽しみになってきた「。 _________________________________________________________ 二日連続で、この城を見てしまった。 今日はお昼で見学終了。 お昼ご飯を、景色のいい主郭でいただいた。 きょうのお弁当は栃木名物 『とっぱのやきそば』 いわゆる、じゃがいも入りやきそば。 ここの焼きそばは、冷めてても麺がくっつかず、お弁当には最適。 あー美味しかったぁ。 駐車場に戻ったら、朝より車が増えていた。 しかし、この銀杏、本当に綺麗だ。 |
第1回 神の領域 2017/11/18 |
秋も深まり、銀杏の木もすっかり色づき始めた。。。 そんなとき・・・・・・・・・ ◆車は市営駐車場に。 主郭をとってみた。 既存の縄張り図面と大きく形が異なるが、私は完璧である。 (なんちゃって・・・) 1マス 7m。 方位は、上が北である 緩く北から南に向けて傾斜している。 北端の矢倉台は基礎部分が巨大な方形である。 天守台を想像させるが、どのような建造物があったのだろう? 主郭内部の遺構は意外と中途半端感が強い。 うっすらと残っているものが多いのだ。 ただ門という門は殆ど前面の壁に当てて、 枡形門形式にしているようだ。 ◆主郭東虎口 主郭内南側は、一段下がって四角い空間となる。 南内側の土塁壁の方が高い。 風よけだろうか。 とにかく、主郭内でも中枢部的な役割の場所であろう ◆主郭中枢部土塁壁 とにかく、今日一日かけて、やっとでこれだけ。 あーぁ、とうとう手をだしちゃった! この城、なかなか手ごわそうだ。 |
様子見 2017/11/05 |
今日、多気山に娘と様子見に行ってきた。 しかし、まだまだ下草に覆われ、調査は難しい。 仕方なく、娘と撤退してきた。 それにしても、ここからの眺めは素晴らしいに尽きる。 |
決意・今期~の目標 2017/10/21 |
2017年。 今期の目標を、多気山城攻略と決めた。 宇都宮市に在住していて、この城をマトモに見ていないのである。 多気山城の縄張り図としては,いくつかの縄張り調査図面が公開されているが、いずれも古い。 これを管理人の現在の目で再考する。 きっと、新しい発見や、見落としがあるに違いない。 今季だけでは終わらないかもしれないが、徹底的にやってみたい。 |