2019
鹿沼市18
◆①記号SKは、現地調査の生DATA=スケッチを示す
◆②『 』内の城は、調査したが、遺構が見あたらない城を示す。
この場合、縄張り図の代わりに、地籍図や写真等を掲載している。
(注)遺構が無いからと言って、そこが城として否定しているわけでない。
◆③図は断りのない場合、上面が北を示す。
パソコンの特性上、縄張りをすべて画面上に掲載できていない場合がある。
妙見寺城sk |
妙見寺城sk 電子国土へのリンク →本城 電子国土へのリンク →途中の竪堀 ※中心位置表示にチェックを入れてください
◆妙見寺城 全体図(国土地理院3Dツールを使用)
隠れた城郭遺跡群発見! 2018/01/15 |
実は妙見寺333mの遺構を確認に行ったとき、偶然見つけたのがこの城である。 地元では知ってか知らずか。 こんな、街に近いところに、これだけの遺構があるなんて! では、その素晴らしい遺構を解説する。 ◆妙見寺城全体位置図 ※【注】 当初は本城の所在を明らかにできなかったが、間接的ではありますが、地主の方の了解が得られたという事で、掲載させていただきます |
【解説】 実はは妙見寺333m峰の城を訪城するときに、麓の妙見寺に車を止めさせていただいた。 ここから山に入ったのだが、 その途中で全く偶然に見つけたのが、この城である。 ◆現地縄張り原図 この城を、くりやさんと発見した瞬間の写真。 あまりの良好な残存状態に、二人でどよめいた。\(^o^)/ ◆堀切2を東から どう考えても、これは333m峰と連絡する、所謂本城である!! 左は堀切2を西から見た写真。 しっかりとした切岸!! 土塁!! 即、城跡と断定。 申し分ない。 その先の堀切1。 主郭側からの撮影である。 堀は橋で連結していたようだ。 橋の台座が、主郭側に残る。 あまりの嬉しさに記念撮影。 美しい堀切だ。 堀切1を超え主郭に。 綺麗に削平された空間だ。 主要部の写真はここまで。 _________________________________________________ 実は、この城のすごいところはコレだけではない。 本城から333m峰に向け尾根を登ると、途中の尾根付け根部に、なんと土橋&大きな竪堀を見つけた。 ◆竪堀縄張り図 位置はここ。 電子国土へのリンク →竪堀位置 ◆堀を南側から くりやさんの立つ場所が土橋である。 右が堀となっている。 ◆竪堀中から いやあ~立派な竪堀だ。☆彡 この尾根の先の333m峰との連絡路であるのは明白。 おそらく木戸跡でる。 竪堀は東斜面(外側)のみで、土橋が本城方向と333m峰方向を繋げる。 ◆竪堀を上から見降ろす。 右端が土橋となっている。 _________________________________________________ ◆全体図 結局、妙見寺城としては、 本城ー木戸跡ー物見(333m峰) という3点セットの城だった。 これは、城というより城郭群と言って良い。 これだけの城郭群が 1セットで、 しかもこれだけ良好な残存状態で残っているのは珍しい。 口粟野の谷を守る城郭群として、粟野城とも関係があったのだろう。 それにしても管見の限り、これらの城を紹介している資料は全く見当たらない。 私は確信した。 栃木県には未知なる城が、まだまだたくさんあるに違いない!! (コンプリート) |